「今でも時々、髪から血の匂いがすることがあんだよ」


 窓枠に腰掛けたまま、ゼロスがぽつりと呟いた。
 先ほど降りだした雨は雨脚を強める事も弱める事もせず、ただ淡々と世界に銀の幕を掛け続けていた。細く開けた窓から忍びこむ雨音は、放たれた声音に潜む感情をぼかしている。
 髪を拭いていた布をおろして、ロイドはしばらくの間ゼロスの横顔を見守った。伏目がちに窓外を眺める様子からすると、すぐには話を続けるつもりは無いらしい。
 この宿屋に駆け込むまでに、ずいぶんと雨をかぶってしまった。同様にゼロスもずぶ濡れのはずなのに、立てた片膝へ顎を預けたまま、髪から雫が滴るのに任せている。
 新しい布を手にして、窓際の寝台に腰を下ろす。部屋に二つある椅子は、たっぷり水を含んだ二人の上着と手袋に占領されていた。
「拭けよ」
 差し出された布を見下ろして、ゼロスは少しだけ笑った。
 生乾きがキライなんだよ、と言って受け取ろうとしない。仕方がないから立ち上がって、ゼロスの頭に布を被せる。
「風邪ひくぞ」
 布越しに触れる頭髪はやはりぐっしょり濡れていた。絡まらないように気をつけながら、水気を拭う。額に巻かれた布を外すと、雫がロイドの顔にまで飛んできた。
「テセアラじゃ、マナの血族の紅い髪ってのはけっこう有名なんだぜ」
 大人しくロイドの手に頭を委ねながら、ゼロスは少しもったいぶった声を出した。
「血族の象徴として、鬱陶しいほど崇拝されてる。血と髪の色を掛けた美辞麗句も、腐るほど聞かされてきた」
 掘り起こした記憶にくつくつと喉を震わせ、膝を抱くようにして声を低めた。
「……本当に血に染まったことがあるなんて、大半の奴らは思いもしなかったろうけど、な」
 外壁に取り付けられた雨樋を伝い落ちる水の音は、時折堪りかねたように大きくなる。誘われるように、ゼロスは再びけぶる町並みへ顔を向けた。
「この髪は俺さまにとっちゃ、まさに血の象徴ってわけだ」
 被せた布の端からは、笑みを刻む口元だけが見えていた。
 あらかた拭き終えたところでテーブルへ布を投げ、湿り気を残す髪にロイドはそっと指を通す。

 遠い雪の日、貴い血族に迎えられた女の血を浴びたというこの髪。

 ひんやりした感触に誘われて根元までを埋めると、指の間を過ぎる束が心地よかった。そのまま何度も梳って、ずっと手中に留めてしまいたかった。
 握り締めようとした指先がうなじを掻いた時、ゼロスがゆらりと顔を上げた。背後のロイドを振り仰いで、微笑う。
「お袋の亡霊がこの髪に纏わりついてる気がしてよ、ガキの頃パニックになって刈ってやろうとしたらセバスチャンに止められちまった」
 こう、鋏を持って。根元のあたりをきつく掴んで、鋏に見立てた指を当てる。
 それはまるで、こめかみに突き立てようとしているかのような仕草だった。目を瞠ったきりロイドは言葉を失う。
「ひでぇだろ?」
「……ああ」
 喉に引っかかった声は沈痛な響きを帯びるばかりで、相手を慰めることなど出来そうもない。もどかしい思いで唇を結んだ。

「勘違いすんなよ」
 ロイドの表情を見咎めて、ゼロスがまた微笑った。
 膝頭の上に額を乗せて、ゆっくり瞳を閉じる。
「非道いのは、俺だ。自分の巻き添えくらって死んだ母親に、そんな感情しか抱けなかった。……けどあの時は、嫌悪感しか」
 力尽きたように口を噤んで、静かに長い溜息をつく。

 せめて、流れ込む冷たい空気がその身体に当たらないよう、ロイドは手を伸ばして窓を閉めた。雨の音が遠ざかり、膜に包まれたような心地がする。
「だから髪伸ばしてるのか?」
 贖罪のために。浴びた血を忘れないように。
「……さあ、な」
 上の空で言って窓の外を見つめる目が、嫌いになりそうだった。
 俯きがちの横顔を隠す長い髪も、ゼロスがこれまで流してきた、そして今も流し続けている血の量を見せつけられたようで腹が立つ。
 いっそ切ってやろうか。剣の柄に手を掛けて、眉根を寄せた。
「おいおい」
 不穏な空気を察して、ゼロスが呆れまじりの声を出した。
「それで切るつもりかよ。手元狂ったらおだぶつじゃね〜か」
「俺が狂わせるわけないだろ」

 慌てて窓枠から飛び降りたゼロスの顔色が変わっている。
 どことなくしてやったりな気分で歩みより、その足を払った。見事、寝台に突っ伏した背中を跨ぐ。
「マジかよロイドくん〜!」
「頭、動かすなって」
「ぶっ」
 虎刈りは勘弁してくれとか何とか喚いていたが、枕に吸い込まれて聞き取れやしなかった。乾きかけの紅い髪を束ねて左手で持ち、頭を押さえていた右手を腰の剣にやる。
 カチ、と鯉口を切る音に反応してゼロスのうなじが粟立った。


  「……やめた。もったいねー」
 掴んでいた手を離すと、髪ははらはらと乱れてゼロスの背中に落ちかかる。黒い肌着に良く映えた。そう、あまりにも惜しかった。
「もったいねーよ。こんな綺麗な色なのに」
「血の色がかよ」
 枕に顔を押し付けたまま、くぐもった声でゼロスが言った。
 剣帯を外したついでに靴も脱ぎ捨てて、ゼロスの隣へごろりと仰向けに転がる。
「血の色だからだろ」
 また自分は、ゼロスの予想と違う事を言ったらしい。
 先が読めないことなど滅多にないからか、ゼロスは不測の事態に弱い。今もぽかんと口を開けたきり、こちらの顔をじっと見つめている。
「血がなくなったら生きていけねーんだぞ」
 あんまり間抜けな顔だから、つい言い聞かせる口調になってしまった。
「まあ、ふつーは、死んじまうわな」
 ぼそぼそ口の中で言って、また考えの中に沈もうとする。また上の空にならないうちに、紅い髪を引っ張って注意を引いた。

「俺も」
 掴んで引き寄せた毛先に、鼻を埋める。
 血の匂いなどしない。ただ雨の匂いと、微かな香水の香りがするだけだ。

たとえ噎せ返るほどの血の匂いがしたとしても、構わない。

「これが失くなったら、生きていけない」

ゼロスが疎みつづけるのなら、自分は最期までこの髪を称えてやる。
傷口からじわじわと血液が染み出す限り、舐め取ってやろうと思った。













日記で書かれていたSSを元に、妄想たくましく膨らませてしまいました。
受け取って下さって本当に有難うございます…!
零さまの描かれる男前ロイドを文章で表す、が密かな目標でした。

2004.6.30  柴井クマノ 拝

(設定に誤りがありましたので修正しました。
読んで下さった全ての方と零さまに、深くお詫び申し上げます。 2004.7.14)


…!………(卒倒)!召し上げられる…(瀕死)
↑この小説を読んだ時の私。
Hong Tong柴井様から、お宝をいただいてしまいました!ひぃふぅ!
エビで鯛を…否…むしろ鯨とか吊り上げたカンジです…大変勿体無い…(拝)!
独り占めするのも良いけど、あまりにももったいないので自慢します(笑顔)。←貴様…
妄想真っ盛りも甚だしい戯言から、こんな素晴らしいものがいただけるなんて!
ダメ元でも言ってみるもんですね(本望)!
あんなんでこんな良いものもらえるなら、いくらでも言いたい!
ジャンジャンバリバリ書いて下さい(眼光)!
水も滴る好い男が2匹…じゅるり…立てた片膝に顎を預けてる姿にワキワキなる…←落ち着け
素晴らしいお宝をくださって、本当にありがとうございました(拝み倒し)!
ですがあの…確かに柴井様のお書きになったロイドはとっても男前で気絶しそうでしたが…
それは柴井様がお書きになったからですよ…!もったいない所か…恐ろしいお言葉…は…
見なかった事にします(爽)
2004/07/01UP

(そんなに深くお詫びなんてしないで下さい〜(汗)
私が猿喜びして上げちゃったから…でも下げなくてごめんなさい(土下座)
2004/07/15再UP)


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